その9。フェイクについて、他


社会を生きにくくし、個人を喜ばせる「フェイク」という概念

そのコミュニケーションはフェイクだ
後で他の仲間と再評価をするためのテストだ
真剣な相談もフェイクと化す
後で笑われるのだ

どんな結果になろうとも、
最後に「今のはオマエを試しただけだ」と言えば
結果は取り消される
「実はどっきりでしたー」って言えば何でも良くなる
これがフェイクだ

フェイクを恐れれば他人と接触できない
陰口を叩かれる



ふたつめのフェイク、「練習」
今のは練習だった、と思えば結果はノーカウントになる
どんな失敗も。犯罪も。たとえ獄中でも。
「コレ、練習。いつかちゃんとやるための」

フェイクはふたつある
試験と練習
いや、一緒っぽいけどさ
現実とは反省される事象である


人生は、現実は、本番であり、練習である
だからフェイク



現実がフェイクにしか感じられない・・・
そのことを告白する場所が必要なのだ
その場所こそが「飲み会」というやつなのか
もしくは、「ブログ」である
つまりブログも、酔った自分も、本音(本心)なのだ

何を求めているのか、どう思っているのか
本音を言うのは必要なこと
言い訳は小さな本音
言い訳くらいはその場で言いたい

本音も出せる、そして受け入れるなら、それは極上の人間関係
かな
 ここでの本音とは、本心のこと



社会・世間はフェイク
これ使えるから覚えとけ



オマエか!
オマエが本性を隠して生きることをみんなに強制してんだな!暗に!
あ、オマエもか!そ、そこにも!
・・・なるほど、皆で協力して自分達の都合の良い世界にしようってか!
もう勝手にしろ!



「無限超越現象」
どんなものにも、常にそれを超えるものが現れ、進化せざるを得ない現象
だがこれは、普段から私たちがやっていることなのだ



他者は自己たりえない
自己は他者たりえない
 ●内容が無い



だから言い訳を言わせる
「言い訳しろ」コレだよ



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